Christian Boltanskiについて
1944年-2021年。フランスパリ生まれの現代芸術家。この人は、生まれた年を見ると分かるようにナチスドイツ占領下のパリで出生した。父親は改宗ユダヤ人で、家の床下を改修し、隠れ住んでいた。ホロコーストの経験がトラウマになって、彼が18歳になるまで一家全員で同じ寝室に寝ていたという。Boltanskiの大きなテーマは「生と死」である。日本とも縁の深い芸術家で、越後妻有アートトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭に参加している。香川県豊島には世界中から心臓の音を収集した「心臓音のアーカイブ」が常設展示されている。2021年に逝去されて、ニュースでも取り上げられたので名前は知っていた。彼が最後に残した言葉が印象的である。
人間は色々なものと闘えるが、時間と闘うことはできない
最後の教室にたどり着くまで
実は最後の教室を鑑賞するのはなかなか容易ではない。新幹線で越後湯沢駅に行き、北越急行ほくほく線で小一時間かけ十日町駅へ。途中の山並みは素晴らしいので飽きることはない。そこから松之山地区へ自家用車かレンタカーで移動することになる。十日町駅から松之山まで自動車で片道40分くらいはかかる。場所や営業時間はこちら。入場料は大人800円と高くない。注意すべきは、通年通じて土日祝のみの営業という点。周囲には美しい山以外は何もなく、まさにこの作品を見るためだけに時間をかけて行く。
最後の教室の実際の展示について
駐車場につくと、廃校というにはきれいな小学校が待ち受けている。すでに巨大な心音が校舎の中から聞こえてくる。
入り口で説明を読み、すぐに展示に入る。
展示室に入室すると、体育館一面に広がる藁の匂いと、配置された電球が目に入る。椅子に置かれた扇風機がゆっくりと電球を揺らし、壁一面に投影機から白黒のモザイク模様が映し出される。モザイクは宇宙空間のように動いているが、時々ピタッと止まり、扇風機の音のみが響く。展示は触れることも出来るし、体育館のステージに上り全体を眺めることも出来る。
作品はこれで終わりではなく、廃校になった小学校全体がアート作品になっていて、動き回ってみることができる。
正直、肝試しをしているようで恐怖を感じる(親子連れの子供が大声を出して怖がっていた)が、それも作者の意図なのかもしれない。作品を見ていくうちにわかって来るのは、過去の生者を暗示し、学校全体がそれを弔う巨大な棺桶の役割を果たしているということだ。その中で理科室で巨大な心音が木魂し、生と死が対比されている。
教室には透明な棺桶に電灯が配置されている。この作品は実際に行ってみないとなかなか価値がわからない。アクセスは困難であるが、十分にその価値がある。
また、たったひとつ(周辺には大地の芸術祭の作品が何箇所かあるが)の作品を見るためだけに、この場所まで大勢の人が訪れることを考えると、アートの持つ力に驚かされる。
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