質量の定義
運動方程式には質量というものが何の前触れも無く現れてきた。そこで、質量とはいったい何なのかについて理解を深める。
質量と重さ
日常的に使っている重さと質量の違いは何であろうか。天下り的であるが一言で言ってしまうと、「質量とは質量であり、重さとは力である」になる。よく分からない感じであるが\(\cdots\)。なお、ここで定義する質量とは、ニュートン力学のみで通用する概念であることを予め述べておく。
具体例について
卑近な例だが、月面上での話をしてみる。地球上で質量\(m\)の物質が月面上にあるときに、質量と重さはどうなるだろうか。答えは、質量は\(m\)、重さは\(\displaystyle \frac{m}{6}\)となる。要するに、質量というのは物質そのものが初めから自己のうちに持っている本質的な属性であり、これは全宇宙の何処にあろうと変化するものではない。質量\(m\)の物質は地球上にあろうが月面上にあろうが宇宙空間にあろうが質量\(m\)のままである。対して、重さとは物質が受ける力のことで、月の質量は地球の質量よりも軽いので、月面上で受ける力は地球上で受ける力よりも小さくなるす。故に、地球上で重さが\(m\)の物質は月面上ではその\(\displaystyle \frac{1}{6}\)の重さ、つまり\(\displaystyle \frac{m}{6}\)となる。なお、この\(\displaystyle \frac{1}{6}\)というのは、おおよその値であって正確な値ではないことに注意する。
循環論法のような気もするが
こんなことを言われてもまだ納得できないものも多いかと思うが、これ以上説明することは難しい。というのも、もし運動方程式から質量を定義しようとすると力についての定義が必要となり、力はポテンシャルの勾配から定義されるので、高校物理の範囲を超えてしまうからである。高校の範囲で質量とは何かと聞かれたときには、質量とは質量であるとしか答えようがないということになる。気持ちが悪いかもしれないが仕方の無いことでもある。
新しい数学
少し話がずれるが、数学の話でかつて新しい数学(新数学、New Math)という運動があった。
ブルバキの流れなどを受け、米国の数学者が曖昧さを嫌い、小学生の内から厳密な数学の公理を教え込むべきだと主張し、実際に導入された。例えば、小学校の数学でリンゴが\(3\)個あって、バナナが\(4\)個あって\(\cdots\)などと教えられているが、これは具体性の上に立脚しすぎていると良しとしなかった。集合の公理からはじめて厳密な数学を教え込めば、ずっと分かりやすくなるだろうし、優秀な生徒が産まれるはずだとされた。このような考え方が主流を占め、小学校からかなり厳密な形の集合の公理などが教えられるようになった。何故集合の公理からなのかというと、現代数学は集合論の基礎の上に構築されているので、小学校から順に現代数学の基礎を教えていけば、効率よく数学の英才を育てることができるだろう、という考えからであった。
新しい数学の結果
結果から言うとこの運動は大失敗に終わった。新しい数学の時期に教育を受けた生徒のほとんどが意味も分からないままに難しい用語を教え込まれ強烈な拒否反応を示したという。新しい数学は一時期日本へも持ち込まれかけたが、小平先生などが頑張って阻止してされた結果、導入された他の国、例えばアメリカなどよりは酷い結果にならずに済んだという。何故新しい数学が失敗したのかについては、諸説あるが、やはり人間身の回りに親しんだ具体的な事柄を身につけながら徐々に抽象的な思考へ移っていくというのが一番のようである。いきなりルベーグ流の厳密な定義を用いて積分を学んだとしたら、きっと数学が嫌いになってしまうだろう。ルベーグ積分はリーマン積分の拡張となっているが、だからといって初めからルベーグ積分を学ぶ意義は薄いと思われる。グラフの意味、関数の微分から入って、徐々に積分を学ぶから(多少拒否反応を示すものがいたとしても)、なんとなく積分を理解できているのだろう。
閑話休題
何が言いたいのかというと、よく分からない質量はよくわからないままで良いので、身の回りの事柄に置き換えなんとなく理解し、勉強を進めて必要に応じて改めて理解すれば良いということである。全部が頭に入って完璧に理解できなくても、分からないところは何が分かっていないのかだけをはっきりさせておく。そのまま勉強を進めれば全体像を見渡して、後になって理解が進むことも多いだろう。


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